大原源三(文書によっては源三郎)は鈎の夜襲で功を上げ甲賀21家に数えられている。勝井氏系図によれば、盛景の子家朝の筋で父は家村(垂井四郎)である。家村は大原中の甲斐屋敷(垂井城跡)の主であり油日神社の「油日神社再建奉加帳」に「垂井甲斐守」の名がみえる。その家村の子に家貞、為家、惟家の兄弟があり、為家が大原源三のことである。
 源三は戦国期には大原中の他大原市場、高野等を領有した。系図は
  盛景――家朝――家村――[為家]――家親――景重――景信――景吉――景福――景就――景之――景當――景元
と続く。
 この中の家親は加津井五郎と称し、また、その子景則、その弟景重の時勝井と改姓する。勝井家の祖である。なお、大原数馬家系図では、数馬家は源三の弟惟家の系統であり、甲賀組の篠山氏は、同家の系図によれば、家村の兄良信の系統である。同族でありながら系図に違いが見られる。


竹林が生い茂っているが土塁は四方に残存しており、しかも3mを超える高さである。