請求番号 156-0023

冊次
系譜コマ数












 ※ 55と60は同一人の系譜で91は先祖の系譜のみで当代までのものはなし














 ※ 189は系図の1枚目の後に表紙のページが入っている






 ※ 20には40には家伝の系図あり


 ※ 14と20は同一人の系図















 ※ 105と120は同一人の系図(105は桓武天皇からの系譜)















 ※ 27には38と50に別の家系の系譜、54は宇多源氏からの系譜あり














 ※ 2~141コマまで清和源氏や新田岩松系譜の説明








 ※ 90と99コマは同一人の系譜、99コマは藤原からの系譜








 ※ 2と16コマは同一人の系譜、16コマは藤原からの系譜



 ※ 61と74と82コマは同一人の系譜、61は越智氏系譜・82コマは自家の旧記















 ※ 21の系譜は清和天皇からあるが、一色の祖の名を記す







 ※ 167の系譜は貞純親王からあるが、記事のある人物の始めの名を記す


















 ※ 72の系譜は藤原秀郷からあるが、記事のある人物の始めの名を記す













 ※ 25の系譜は木曽義仲からの系譜で29~が先祖書、50の系譜は63~清和天皇からの系譜を記載


 ※ 2の系譜は清和天皇からの系譜を記載しているが林となる人物の諱を記載














 ※ 104には116から清和天皇からの系譜あり






 ※ 69は表紙では早川となっているが中身は早瀬氏







 ※ 101と110は同一人の系譜で110は道臣命からの大伴の系譜


 ※ 13は土岐氏からの系譜で19から自家の系譜・26には47から清和天皇からの系譜あり

















 ※ 144の規弘の規は矢偏に見で記載されている











 ※ 72から58の家系の断絶した系譜あり


 ※ 91は初め自家初代までの系譜で97から自家初代からの先祖書








 ※ 公文書館の表題、簿冊の表紙に堀江の記述がない


 ※ 36の系図は41右と41左の間が抜けていて51左から63右の系譜が入る。47は51右の次は63左に続く

   90の系譜は寛政譜では神尾とされている






 ※ 112と117は同一人の系譜(112は貞尚まで)




 ※ 100には112に桓武天皇からの系図あり


 ※ 2には19から古證文写、30から清和天皇からの系図あり













 ※ 96には118から桓武天皇から、123から清和天皇からの系図あり




 ※ 2は村上天皇から、11に自家系譜、その他奉書写や御判物写あり




 ※ 82は村上天皇からの由緒書の後93から自家系譜となっている






 ※ 2は孝霊天皇からの系譜で8から自家系譜(ただし諱は戸川となる諱を記載)となっている

   102に121から清和天皇からの系譜あり






















 ※ 70の齋藤氏の系譜は59の冨永氏が提出した物で当時冨永家で預りとなっていた齋藤氏のもの


 ※ 2には27から清和天皇からの系譜・47から古状写、82には95から112には130からともに清和天皇からの系譜あり























 ※ 2には23から由来書、27から古書写あり







 ※ 沼間は表紙(公文書館の書名)では沼田


 ※ 61は75から自己の系譜


 ※ 142には149に親類書・遠類書、156に先祖書あり




 ※ 29・33・37・40に先祖菩提寺の書物写、44に横須賀根本記(内61に大須賀系図)あり


 ※ 96は吉忠以前の名もあるが小栗を名乗る初代の諱を記載








 ※ 22は12の分家だが姓は小河と小川で分かれている



 ※ 14は21で一度区切った後に続きの系譜、89には103から平氏系図あり




 ※ 2・28は持明院基頼からの系譜となっているが2は大沢を名乗る初代、28は系譜で初代とある諱を記す



 ※ 10は2の家からでた絶家分

















 ※ 50には76に絶家分の系譜を含む







 ※ 2は貞澄親王から初代まで、22から初代からの自家系譜












 ※ 21と77は清和天皇からであるが大河内初代としている人名を記載(77は81から自家系譜)



 ※ 10は鎌足からの系譜14から自家系譜、55は64から天御中主尊からの系譜あり






 ※ 59には敦実親王からの系図(連続性はなし)あり


 ※ 61は71から良兼からの平氏系図あり










 ※ 32は桓武天皇から50に自家系図、75は80から平氏系図、137は140に正重からの系図あり





 ※ 114は鎌足からの系図で119から自家系図




 ※ 110からは荻生物語、139から自家系図、174から饒速日命からの物部系図









 ※ 88は78の家が提出した家断系譜、102には108に宇多天皇からの系譜あり



 ※ 2には18から忠節申上書、89に99から具平親王から系譜あり。53と63は続いているが、63の表紙が欠落しているか?









 ※ 12は菅原道真からの系図であるが記録のある人物の初代を記載












 ※ 2は源融からの系図であるが記録のある人物の初代を記載






 ※ 44は源綱からの系図であるが記録のある人物の初代を記載




 ※ 和田多は略譜などでは和多田とされている








 ※ 99は81から提出の断絶家の系譜、また103に鎌足からの系譜あり













 ※ タイトルには川田なし。83には92に武田源氏の系図有り。




 ※ 96は桓武天皇からの系譜で132から自家系譜





 ※ 2は11から孝霊天皇からの系譜あり














 ※ 106は宇多天皇からの系譜だが勝部の初代とした




 ※ 131には149から断家分の系譜あり


 ※ 2には19に清和天皇からの系譜あり



























 ※ 2には20に敏達天皇からの系譜あり。また亀田は表紙及び書名に表示無し






 ※ 2には冒頭に桓武天皇から初代までの系譜、18に初代からで一度切れて37から続きの系譜






































 ※ 90には99から断絶家分の系譜有り






 ※ 80に95から家永(源義家六男としている)からの系譜あり。また米津のあとに横田、米津、米野となる


 ※ 61に66から断絶分の家譜、116は藤原鎌足からの系図で121から自家系譜



















 ※ 86は藤原鎌足からの系図で高城を名乗る初代の諱、114には126に清尚武功年譜別帳・132に村上天皇からの系譜あり














※ 48は坂上苅田麿呂からの系譜だが記録のある初代の諱を記載






※ 26には37から御筆写あり





※ 47には62から断絶家分の系譜有り

































※ 2には23に分知の絶家分の系譜あり










※ 2は絶家分で11から自家分、22は29から断家分あり



※ 2には43から絶家分2系譜あり








※ 袖岡は書名では袖園(冊子表紙も)となっている


※ 23は平清盛からの系図だが初代諱としている


※ 2には57から断絶分の系譜、115には121から本家(断絶)分の系譜あり






※ 56には73から断絶家分の系譜あり





















※ 2には24から鎌足からの系譜あり










※ 66には78に藤原鎌足からの系図あり


















※ 22の前に10から高麗流八条家馬術相伝系譜あり


※ 19は31に藤原鎌足からの系譜有り










※ 63には82から冨永善左衛門家(断絶家)の系譜あり




※ 58は武御名力神からの系譜だが、寛政譜初代の諱を記載。
  公文書館の書名に南条は入っていない




※ 84には99から断絶家の系譜あり






※ 30と73は二條関白良基からだが成瀬の初代の諱とした















※ 那須の系譜は途中で切れている


※ 20には28に清和天皇からの系譜有り








































※ 18は新田(脇屋)義助からだが上田の初代の諱とした。125には145に道臣命からの系譜あり





















※ 139には146に断絶家分の系譜あり


※ 83には133に断絶家分の系譜、143に清和天皇からの系譜あり










※ 2には36に孝徳天皇からの系譜あり。118は記事のある最初の諱とした












※ 75には88に断絶家の系譜あり






※ 17には48に累代事跡・73に御書写あり












※ 105には124に具平親王からの系譜あり











※ 24には41に先祖書あり


※ 19には29に篠瀬家伝系図が、44には80から榊原家系図(藤原鎌足から)あり


※ 10には28・42・43・49・55・61に別家の系譜、121には129に先祖書あり





※ 105には117から先祖書別帳が120から断絶家分の系譜あり










※ 34には44に断絶家分の系譜、102には112に断絶家分の系譜、116には127に実方(美濃部氏)断絶家分の系譜あり









※ 79には97に古文状写あり



※ 45には86に類家の家譜、110には124に断絶家譜あり


※ 39には69に吉田系譜(系譜12代目氏壽実方)あり





※ 44には54に御筆御書御画写あり










※ 105は藤原秀郷からの系譜だが島田姓初代の諱を記載







※ 131には142に断絶家分の系譜あり







※ 26の自家系譜は41からで26・31は断絶家分の系譜


※ 2には88に嶌田菅沼系譜(断絶)、95に田峯菅沼系譜(断絶)あり





※ 2は孝元天皇からの系譜だが記述のある初代の諱とした